超が付く人気の日本酒「獺祭(だっさい)」│旭酒造株式会社

山口県の酒造メーカー「旭酒造」が造る日本酒「獺祭」が、世界的にも注目されています。「日本酒の人気ランキング」といったサイトを見ると、「獺祭」は多くのサイトで上位に入っていますし。この記事を書いている時点でも、代表的なショッピングモール(Amazon、楽天市場、Yahooショッピング)で日本酒の売れ筋ランキングを見ると、全てのショッピングモールで上位に表示されています。

獺祭は日本酒としての美味しさもさることながら、前社長の桜井博志氏の経歴や考え方にも非常に興味をそそられてしまいました。

この記事では日本酒としての獺祭だけではなく、酒造メーカーとしての旭酒造についても紹介していきたいと思います。

獺祭(だっさい)が注目された理由

獺祭が注目されたのには、日本酒としての品質がトップレベルであることは言うまでもありませんが、その他にもいくつかの理由やエピソードがあります。

山田錦100%の純米大吟醸酒しか作らない

獺祭を製造している旭酒造は、契約農家で栽培した酒米好適種の「山田錦」だけを使い、さらに精米歩合50%以下の純米大吟醸酒のみを作っています。他の酒造メーカーに見られるような「大量生産・大量販売」といった方向性の日本酒は造っていないのです。
<注> 獺祭の最高品質と言われる「獺祭 磨き その先へ」は精米歩合が公表されていません。そのため清酒の分類としては吟醸酒でもない「純米酒」になっています。

世界のVIPへのプレゼントとして

平成25年(2013年)10月にインドネシアで開かれたAPECの際、10月7日はロシアのプーチン大統領の61歳の誕生日でした。その時に安倍首相がプーチン大統領に贈ったプレゼントが、安倍首相の地元・山口県の「獺祭」と萩焼のぐい飲みだったそうです。

また、安倍首相は平成26年(2014年)4月にアメリカのオバマ大統領が来日した際にも、江戸切子のぐい飲みと共に、「獺祭」をオバマ大統領にプレゼントしています。
この時贈った獺祭は獺祭シリーズの最高級品とされる「獺祭 磨きその先へ」という銘品だったそうです。

プーチン大統領やオバマ元大統領だけでなく、日本を訪問する多くのVIPへのお土産としても使用されているようです。

映画にも登場

2007年9月に公開された「エヴァンゲリオン新劇場版:序」(庵野秀明 監督)で、葛城ミサトさんのお家で、飲み干された(?)大量の「獺祭」が登場しています。
さらに2009年公開の「エヴァンゲリオン新劇場版:破」でも「獺祭」は登場していました。

2004年5月に公開された「キューティーハニー」(あの昭和の名作の実写版です)でも、佐藤江梨子さん演ずる「如月ハニーの大好きなお酒」として「獺祭」が登場しました。
この映画も庵野秀明さんが監督をしていて、庵野監督自らも大好きな日本酒だそうです。

ユニクロでは新規開店のセレモニーで

大手衣料チェーンのユニクロ(CEO 柳井 正氏)は、新店舗のオープニングセレモニーでは獺祭の樽酒で鏡割りを行い、乾杯するそうです。

「お願いです。高く買わないでください。」全国紙への意見広告

獺祭を製造している旭酒造は、2017年12月10日の読売新聞に1面を使った意見広告を出しました。広告の内容は「獺祭を希望小売価格よりも不当に高い値段で買わないでください」というものです。
人気のある獺祭は、小売価格の数倍の値段で取引されているものもあります。
もともと旭酒造は獺祭の品質管理がシッカリとできる小売店のみに商品を卸す「登録制度」を取り入れています。全ては「正規の値段で、品質を保った商品をお客様の手元に」というメーカーの強い願いがあるからなのです。

人気があって希少価値の商品は「プレミアム価格」と称して、正規の価格の数倍で売られる事はままあることですが、旭酒造としては「異常に高い価格、しかも品質保持が確かではない商品」、これらが消費者の手に渡ることが耐えられなかったのです。

 

ここで紹介させていただいた安倍首相、庵野監督、柳井CEOの3名は山口県出身という共通点があります。そのため「地元山口県の日本酒を使っているだけ」という意見もあります。
しかし、この方々は日本を代表する人物の一人であることは誰が見ても明らかですよね。
日本を代表する方々が、単なる「地元だから」というだけで外交や、映画や、世界的企業のオープニングセレモニーで使用するでしょうか?

世界に誇れる日本酒が地元の日本酒だった」といった方が正しいのかもしれません。
そんな「獺祭」が世界中の注目を集めているのもうなづけますよね!

獺祭(だっさい)の名前の由来

獺祭の「獺」はイタチ科カワウソ亜目の「カワウソ」のことです。

旭酒造は「山口県岩国市周東町獺越」という場所にあり、町の名前の「獺越」は「川上村に古い獺(カワウソ)がいて、子供を化かして当村まで追越してきた」ことに由来すると言われています。

またカワウソは捕った魚を川岸に並べる習性があることから、人間が物をお供えして先祖を祭るのに似ているということで、獺祭(カワウソ祭り)と称されています。さらにこの様子から、学者が書斎に多くの参考書を広げておこくことの例えにもなりました。

日本文学に改革をもたらしたといわれる明治の文学者正岡子規は、自らの別称を「獺祭書屋主人」としていました。

獺祭の名称はこの正岡子規の別称と地名の獺越から付けられたのです。

旭酒造という酒蔵

獺祭を製造している旭酒造株式会社は、山口県岩国市の山間にある江戸時代から約200年続く小さな酒蔵で、かつては「旭富士」という普通酒を主力商品としていました。
その伝統ある「旭富士」を捨て去り、「獺祭」が完成するまでは決して順風満帆ではありませんでした。それどころか倒産の危機にも直面していたのです。

獺祭を造り上げたのは旭酒造株式会社の三代目社長 桜井博志氏です。現在(2016年から)は息子さんの 桜井一宏氏が四代目の社長に就いておられますが、ここでは 桜井博志 前社長を「桜井社長」と書かせていただきます

桜井社長のプロフィール

桜井社長は1950年山口県岩国市で生まれました。松山商科大学卒業後、灘の大手酒造メーカー(現在の日本盛株式会社)で3年半営業として修業したのち、1976年に旭酒造に入社しました。しかし、日本酒造りの方向性や会社経営についてお父様と対立して会社を退社、その後石材卸の会社を設立して年商2億まで成長させました。
1984年、34歳の時に二代目社長であるお父様の急逝を受けて実家に戻り、旭酒造の三代目社長として家業を継ぐことになりました。

酒造りの素人が突然蔵を継ぐことに!

桜井社長が旭酒造を継いだ時、主力商品として「旭富士」という普通酒を製造し、地元市場をターゲットにしていましたが、地域の過疎化に歯止めがかからず販路拡大は絶望的な状況でした。実際に桜井社長が就任した当初、年間生産量は126kl(一升瓶換算で約7万本)、売上高は前年比 85%の 9,700万円という倒産寸前の状態で「岩国地区の負け組」と言われていました。

そんな状態の中、酒造りに関しては全くの素人と言ってよい若干34歳の桜井氏が蔵を継ぐことになったのです。
経営再建を託された桜井社長がとった戦略は「既存路線の強化」でした。というより「既存路線の強化しか打つ手がなかった」といいます。つまり、カップ酒やパック酒の販売、値引き強化といった、大手の酒造メーカーが行っている薄利多売の戦略です。

結果として売上高の落ち込みは止まったものの、経費がかさみ決算内容は悪くなるという状況でした。

東京に活路を求めて!

桜井社長が活路として目指したのが「東京進出」でした。それまで地元で販売していたものの売り上げは伸びず、といって「岩国市や広島市で売っていたのでは少ない市場を奪い合うだけで弱小企業では太刀打ちできない。」というのが東京進出の理由でした。

東京進出に前後して桜井社長は「なぜ売れないのか?」を考え抜いたそうです。その結果「お客さんが求めているのは、酔うため、売るための酒ではなく、味わう酒ではないのか」という結論でした。そのためにはお酒の品質を徹底的に追い求めていく必要があり、純米大吟醸酒という日本酒にたどり着いたのです。

旭酒造株式会社公式サイトの「旭酒造が目指す蔵元像」というページには以下のように書かれています。

大量販売の論理から生まれた酔えばいい、売れればいい酒ではなく、おいしい酒・楽しむ酒を目指してきました。何より、酒のある楽しい生活を提案する酒蔵であり続けたいと考えています。
生活の、一つの道具として楽しんで頂ける酒を目指して、「獺祭」(だっさい)を醸しております。
もちろん、ただこだわって、売れなくてもいいから 「幻の酒」になりたいというつもりはありません。

出典:旭酒造 公式HP

試行錯誤の純米大吟醸

吟醸酒を造る決断はしたものの、これまで本醸造酒しか経験のなかった旭酒造にとっては、酒米を50%以上磨く純米大吟醸の醸造は夢の話のようであったそうです。
実際に1990年に純米大吟醸が世に出るまで6年間という年月、試行錯誤と失敗を繰り返したそうです。

酒米は最好適米の山田錦100%

原料の酒米は、最高の酒造好適米と言われる「山田錦」を100%使用するとこにしました。しかし、山口県といえば新潟や秋田のような酒処といったイメージもなく、県内・県外を問わず良い米が入手できませんでした。
そこで山田錦を自分たちで栽培しようと試みたのですが、種もみを供給してもらえないという問題が発生しました。経済連にも供給をお願いしましたが3年続けて門前払いという状況であったそうですが、努力の結果独自の購入ルートを築くことができ、その後の安定的確保につながったといいます。

杜氏の経験不足

「最高品質の純米大吟醸酒」を目指す桜井社長にとって、酒米と共に持ち上がった問題は杜氏の経験不足でした。旭酒造の杜氏集団はこれまで吟醸酒の醸造経験が無く、目標とする品質の吟醸酢を造るにはスキルも経験も不足していました。

桜井社長は県内の杜氏集団だけではなく、広く各地の杜氏集団に目を配ていましたが、知人から兵庫の田島杜氏を紹介してもらい、この杜氏集団と共にその後の旭酒造の基礎を造っていく事になるのです。

新しい杜氏の元で、純米大吟醸らしい日本酒を造ることができる様になり、東京への進出もある程度成功していったのです。
これに伴い、1990年に200年続いた「旭富士」の製造をやめ「獺祭」に一本化を図りました。

「獺祭 磨き二割三分」の誕生

大吟醸造りは手間もコストもかかり、晩酌で日常的に飲むようなお酒にはなりません。東京進出に成功した背景には、当時がバブル崩壊の時期であったことも影響しているといいます。
バブル崩壊に伴い、銀座でもクラブなどが倒産して跡地に居酒屋ができる様になりました。しかしそこは何といっても「東京銀座」、周りよりも高い「純米大吟醸」を置く店が増えてきました。そこに獺祭は入り込むことができたのです。

「獺祭 磨き二割三分」は日本一の精米歩合を誇る純米大吟醸酒です。旭酒造には「獺祭 磨き その先へ」という「磨き二割三分」を超える商品がありますが、「獺祭 磨き その先へ」の精米歩合は非公表となっていますので、「獺祭 磨き二割三分」は公表されている精米歩合では日本一ということができます。

このお酒は「日本最高の精米歩合の酒を造ろう」という目標の元、25%の精米歩合としての純米大吟醸酒を計画していたそうです。その精米を始めたのを確認してから出張に出かけた桜井社長に「他メーカーで精米歩合24%の純米大吟醸を販売している会社がある」と教えてくれた人がいたそうです。
一晩考えた桜井社長は、計画の25%からさらに2%磨いて23%にするように担当者に要請しましたが、当の担当者は精米を始めてから既に6昼夜・・・・疲れ切っていて渋ったそうです。
そこを何とか説得して、結果的に168時間(7日間)かけて米を磨いてできた純米大吟醸酒が獺祭の金看板といわれる「獺祭 磨き二割三分」なのです。

杜氏のいない酒造りへ

桜井社長が次に目指したのが「杜氏の若返り」です。蔵の将来を考えると杜氏の若返りは必要不可欠なことではありますが、それに伴う問題もありました。

日本の酒造りは古来より杜氏という技術集団によって造られてきました。この伝統は現代のビジネスに置き換えてみても杜氏と蔵元両者にメリットのあるものです。
なぜなら、杜氏集団は夏には農作物を作り冬の繁閑期に杜氏として日本酒を造って現金収入を得ることができますし、蔵元にとっては杜氏が造った日本酒の販売だけを担当すれば良く、夏季の人件費もかからないというメリットがあるからです。

このような杜氏文化の中で若い杜氏を育てるためには、若者の夏の収入源を考えなければなりませんでした。「夏場は自力で何とかして!」などと言っていては、誰も杜氏になろうなんて思わないからです。

地ビールレストラン開業と失敗

若者の夏場の人件費確保のために始めたのが「地ビールれるトラン」の開業でした。
当時は地ビールが大流行していた時代でもあり、国税庁にビール製造の免許申請をしましたが許可が通りませんでした。このとき担当者から提案されたのが地ビールレストランを開業するという案で、桜井社長はこの案に飛びついたのです。

しかしこの事業は大失敗に終わってしまうのです。当時「地ビールレストラン」開業のために契約したコンサルタントの試算と、実際の集客には雲泥の差があり、さらに過剰な設備投資をやめさせようとするとコンサルタントの関係は険悪になり、労働闘争まがいまで発展していったそうです。

結局この事業は1999年3月にオープンして3ヵ月後の5月に閉店という結果に終わりました。

コンサルタントとは民事訴訟になり5千万円は返ってきましたが、トータルで1億9千万円の損害をだしてしまったそうです。

この地ビールレストランで造っていたビールの名称は「オッターフェストビール」といい、オッター(Otter)はカワウソ(獺)、フェスト(Fest)は祭りの意味で、日本語で書けば「獺祭ビール」となります。

このビールは2005年に醸造を辞めてしまったため、今ではもう飲むことができなくなってしましました。
一度飲んでみたかったなぁ~ って思ってしまいますね。

杜氏にそっぽを向かれる

地ビールレストランの失敗で経営危機説が広がり、杜氏が「もう酒造りに来たくない」という理由で会社を辞めてしまいました。

このとき桜井社長は新しい杜氏を探すことなく、自分たち蔵元の社員だけで獺祭を作り続けることを決断したのです。その理由として、米は毎年出来具合(性状)が違っているにもかかわらず、杜氏は冬にガッと造って去って行ってしまうため品質が異なってしまうことがあったからだと話しています。
「ならば自分たちで造ろう」と。

逆にこの状況が「妥協や遠慮をしない酒造り」に挑むことができるようになったのです。

通常は蔵元は販売に特化し、酒造りは杜氏に任せるという日本の酒造りですが、桜井社長は「酒造りに口を出す」蔵元でした。そのため、蔵元にも酒造りの技術とノウハウが蓄積されていたため、思い通りの酒を造ることができるようになったといいます。

四季醸造の実現

杜氏が辞め社員中心の酒造りは、他にも大きな変革をもたらしました。

それはこれまで冬季のみの仕事であった酒造りが、四季を通じて造れるようになったことです。獺祭の人気が爆発的に高くなり品薄状態が続いていた旭酒造ですが、四季醸造が可能になったことで生産量も飛躍的に増加し、注文にもリアルタイムで応じられるようになりました。さらに杜氏を挟まない分、蔵元に意思が製造現場に行き渡るようになり企業としての経営体質が強化されたのです。

最新技術のローテク酒造り

旭酒造は2015年におよそ30億円をかけて12階建ての新社屋を建設しました。この新しい工場には醸造タンクが300本あり、年間生産量は一升瓶換算で500万本、桜井社長が三代目社長になった当時(7万本)の約71倍にもなります。

以前から酒造りにデータ収集と分析を取り入れてきた旭酒造なので、新工場はハイテクの集合体と思われがちですが、実際には手作業で行うローテクの酒造りを行っています。

例えば300本ある醸造タンクですが、5,000リットルが100本、3,000リットルが200本となっていて、大手酒造メーカーが使う7,000~10,000リットルタンクに比べてやや小さめになっています。これは従業員が醪(もろみ)に櫂(かい)を入れたときに、その状態を見て手動で温度を調整するため「小さいタンクの方が1つ1つのタンクをきめ細かく管理するため」という理由からです。
また、洗米も麹(こうじ)造りも全て手作業で行うため、ローテクの酒造りというわけです。

しかし、すべてのタンク内部をデータ化するなど、品質分析や安全管理については最新の技術を導入して行っています。

これが「最新技術を取り入れたローテク酒造り」というわけです。

獺祭(だっさい)を飲む

獺祭は品質を最重要視しているため、販売店も代理店方式を採用しています。ご自宅の近くに販売店があるかどうかは旭酒造公式HPで調べることができますので、正規代理店が近くにある場合はそこでの購入をおすすめします。
※ 正規代理店は以下のリンクから調べることができます。

お近くに代理店が無い場合は通販でのお取り寄せも可能です。
お取り寄せについては以下の記事にまとめましたので、参考にしていただければ幸いです。

獺祭(だっさい)の買える店・お取り寄せ
【この記事で紹介しているネットショップは、獺祭の正規取扱店のみを掲載しています。】獺祭(だっさい)は四季醸造のおかげで以前よりも入手しやすくなりました。とはいえ獺祭は「どこにでも売っている酒」「どこでも飲める酒」とも少し違います。正規取扱店は旭酒造の公式HPに掲載されていますが、お取り寄せも正規取扱店からをお勧めします。

獺祭(だっさい)への批判・製品事故

日本酒の最高峰とさえ称えられる獺祭ですが、批判が無いわけではありません。ネットでの書き込みや記事を読んでいると、批判の対象は大きく分けて4つあるように思います。

  1. ずっとお店で使ってきたのに、人気が出たら酒を卸してもらえない
  2. 杜氏もなく近代工場で造るようになって味が落ちた
  3. 年間製造では酒の季節感が感じられない
  4. 獺祭が山田錦を買い占めてしまい、酒米が不足して困る

<1>は「獺祭が今日ほど有名になる前から店で使ってきたのに、ブームになって品薄状態になったときに販売代理店が獺祭を卸してくれない。」といった批判です。
現在では四季醸造を採用しているため、品薄状態はかなり改善されているようですが、今度は逆に「どこでも飲める酒には興味がない」という批判もあるようです。

<2>は杜氏を置かずに近代工場でマニュアル化された酒造りに対する批判です。「美味い酒は寒い冬に法被を着た杜氏が白い息を吐きながら櫂を入れる」というイメージがありますからね。そのため今の獺祭は「味が落ちた」という方も多いようです。
しかし「味は変わっていない。味が落ちたとすればそれは代理店や店での保管方法が雑になったせいだ」という意見もありました。

<3>は四季醸造に対する批判です。日本酒は冬に仕込む「寒仕込み」という伝統があるから季節感が味わえる。「四季醸造ではどれが新酒か分からず、季節感というものを失ってしまった」というものです。

<4>は獺祭の原料米である山田錦を旭酒造が大量に買い占めるため、他の中小酒蔵で入手が困難になってしまったという批判です。獺祭は富士通のIT技術を用いて契約農家さんに山田錦を造ってもらっているのですが、その他のルートからも入手しているのですね。
この件に関しては桜井社長は「山田錦の生産量が減ったのは、酒蔵が買わなくなったから。それなのに当社が買い進めると批判を浴びるようになった」と話しています。

また、獺祭の製品事故も起こってます。

酒米にコシヒカリ混入

旭酒造が購入する山田錦は独自にDNA鑑定を行っています。ところが2015年3月にDNA鑑定の結果ある農家さんから仕入れた山田錦にコシヒカリが混入(全体の25%以下)している事が判明しました。この酒米は米の等級検査でも山田錦として検査証も発行されていたことから、「獺祭純米大吟醸50」(1万4千本分)用の掛け米に使用されてしまっていたのです。
このまま「獺祭純米大吟醸50」として販売しても法律上は問題ないと判明したのですが、旭酒造の決定は「獺祭の純米大吟醸しては認めず、獺祭初心として純米大吟醸表示も外して販売する」というものでした。
獺祭初心とは今回のミスを教訓に、初心に戻ることから付けられた名前です。

虫の混入

2016年12月に「獺祭 純米大吟醸 磨き三割九分 720ml」(製造年月・記号:16・10・D)に虫の混入が見つかりました。
現在は自主回収も完了しています。

まとめ

獺祭(だっさい)について簡単にですがまとめてみました。
日本酒としての「獺祭」も素晴らしいのですが、私は 桜井博志 前社長の考え方や実行力に惹かれるものを感じています。

また、一人の日本酒ファンとして、「獺祭」のような日本酒が飲めてよかったと思います。
確かに近代的な工場で造る日本酒に対して、「ちょっとイメージが違うかな・・・」と感じる方がいてもおかしくないと思います。

私も美味しい日本酒に対するイメージは、「古い蔵の中で杜氏たちが櫂を入れ、新酒の季節には酒蔵の軒下に新しい杉玉が下がる」というものです。獺祭を知った今でもそれは変わりません。

しかし考えてみると、この国で清酒という文化が始まってから今日まで、ものすごい技術革新が節目節目であったのです。それらは今まさに「獺祭」が起こそうとしている変化と同等のものだったのではないでしょうか?

 

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